まどなれいROCKの終り

絵描き「まどなれい」のロック音楽などの事をいろいろ描くブログ

カルメン・マキ&OZ「私は風」日本初のロックの女王

カルメン・マキ&OZの「私は風」は約12分に及ぶ大作であり、日本のロック黎明期に現れた史上初のロックの女王がカルメン・マキである。

 

カルメン・マキにロックバンドOZ(オズ)が付くと最強の日本のハードロックバンドになる訳である。

 

ジャニス・ジョップリンのLPを聴いてロックに目覚めた彼女は、デビュー曲「時には母のない子のように」で第20回NHK紅白歌合戦に出場している。当時17歳の彼女のその時の衣装がジーンズ姿で史上初のジーパン紅白歌手となった。

 

彼女は寺山修司主宰の劇団「天井桟敷」に入っていて「書を捨てよ町に出よう」が初舞台である。「時には母のない子のように」の作詞も寺山修司である。

 

謡曲時代にずいぶん沢山の歌を残している。「山羊にひかれて」「私が死んでも」「戦争は知らない」「坊や大きくならないで」などの名曲がある。

 

カルメン・マキ&OZは、日本最初期のハードロック・バンドである。「私は風」はディープ・パープルやユーライア・ヒープに負けていない名曲だ。

 

1951年生まれのカルメン・マキは現在、67歳ということになる。神奈川県鎌倉市アメリカ人の父と日本人の母の間に生まれた。

 

あまりにも素晴らしいカルメン・マキ&OZであるが、ファーストアルバムの『カルメン・マキ&OZ』(1975年)は10万枚という当時としては破格なセールスを記録している。

 

本当に凄いハードロックの女王のカルメン・マキである。

 

 

カルメン・マキ&OZ

カルメン・マキ&OZ

 
閉ざされた町

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ライヴ

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ベスト・オブ・カルメン・マキ&OZ

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III

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ゴールデン☆ベスト カルメン・マキ セブンティーズ・ロック[スペシャル・プライス]

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真夜中詩集 - ろうそくの消えるまで -

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DREAM PRICE 1000 カルメン・マキ 時には母のない子のように

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カルメン・マキ&OZ 私は風'76


カルメンマキ 私は風 CARMEN MAKI

 


カルメン・マキ&OZ 1977/07/24 Ganne Moon Beach, Miya-jima island, Hiroshima, Japan

 


カルメン マキ 「時には母のない子のように」